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ロングセラーを続けるピアノ・トリオ作品『A Moment in Montreux』(2013年)の発表から、早くも10年。ヨーロッパ・ジャズ・ピアノの重鎮、ジョー・ハイダーがサウンドヒルズ・レコードに戻ってきた! このところセクステット(6人組)やオーケストラのリーダーとしての活躍が際立っていたが、彼のピアノ・プレイに一度でも惚れ込んだファンであれば「もっと長時間、あの美しいタッチに浸りたい」、「ハイダー最大の旨味はやはりピアノ・トリオにあり」と思う気持ちは高まるばかりであったろう。神話的ピアニストであるビル・エヴァンスゆかりのナンバーを中心にとりあげたこの2枚組最新作『The Bill Evans Village Vanguard Sessions』は、ジョー・ハイダーのファンの溜飲を下げると共に、ヨーロッパ・ジャズ、ピアノ・トリオ、さらにエヴァンスの愛好家を大いに喜ばせるに違いない。
ハイダーは1936年1月3日、ドイツのダルムシュタットに生まれた(現在はスイスの首都ベルン在住)。エヴァンスは29年8月生まれなので6歳半ほど年が離れている。同世代のジャズ・ピアニストには35年生まれのゴードン・ベック(英国)、ウォルフガング・ダウナー(ドイツ)、ミシャ・メンゲルベルク(オランダ)、37年生まれのマイク・カー(英国)、フレッド・ヴァン・ホーフ(オランダ)、38年生まれのフランソワ・テュスク(フランス)、ハル・ギャルパー(米国)、マッコイ・タイナー(米国)、スティーヴ・キューン(米国)等。60年から65年にかけてミュンヘン音楽・演劇大学で学び、そのあいだにサックス奏者フリッツ・ミュンツァーのバンドでも演奏した。その後、68年まではミュンヘンのジャズ・クラブ「ドミシル」に自身のトリオを率いてレギュラー出演。ダスコ・ゴイコヴィッチ、クラウス・ドルディンガーなどヨーロッパ人ミュージシャンはもちろん、ベニー・ベイリー、レオ・ライト、ネイサン・デイヴィスなど在欧アメリカ人のサポートも務めた。70年に入ると4人組グループ“フォー・フォー・ジャズ”を結成、翌71年にはトリオ編成による前期の代表作『Katzenvilla』を録音。70年代半ばにはトロンボーン奏者スライド・ハンプトンと双頭オーケストラも組んでいる。
もうひとつ特筆すべきは、レーベル・オーナーとしての一面だ。74年に立ちあげた“EGO”からは自身のアルバムはもちろん、フリッツ・パウアー、サル・ニスティコなどの良質なハード・バップ系作品を80年代前半にかけてリリース。CDが主流となった90年代半ばには“JHM(ジョー・ハイダー・ミュージック)レコード”を創立し、ドン・メンザ、コンテ・カンドリなどアメリカのベテラン・ミュージシャンもフィーチャーしながら、“スウィンギーなアコースティック・ジャズは不滅なり”という声がきこえてきそうなほど力のこもった作品を世に送り出してきた。
2020年代に入ってからも多種多彩なフォーマットで演奏を続け、作曲面でも変わらぬ創造性を発揮しているハイダーだが、近年、そのラインナップに加わったのが“スライド・ハンプトン・プロジェクト”と“ビル・エヴァンス・プロジェクト”である。今は亡き、敬愛するミュージシャンへの恩返し的意味もあるだろうし、彼らと同時代を生きてきた者として、そのレガシーを伝えていきたいという強い思いも持ちあわせているはずだ。当アルバムは後者のプロジェクトによる初めての作品で、2023年1月に行われた計4夜のライヴからハイダー自身の厳選した12トラックが収められている。ラストを飾るホレス・シルヴァー作「Peace」以外はビル・エヴァンスゆかりのレパートリー、なかでも1959年から61年にかけて存続した伝説のトリオ(エヴァンス=ピアノ、スコット・ラファロ=ベース、ポール・モチアン=ドラムス)が演奏した楽曲が非常に多く選ばれているのが特色だ。『The Bill Evans Village Vanguard Sessions』というアルバム・タイトルが示す通り、エヴァンス、ラファロ、モチアンが61年6月25日に米国ニューヨークのジャズ・クラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」で録音した『Sunday at the Village Vanguard』からは「Gloria's Step」、「My Man's Gone Now」、「Alice in Wonderland」、「Solar」、「All of you」、『Waltz for Debby』からは「Waltz for Debby」、「Some Other Time」と、本作に収録されている半数以上のナンバーが選ばれた。「Peri’s Scope」と「What Is This Thing Called Love」はトリオの第一作『Portrait in Jazz』(59年録音)に入っていた楽曲で、後者におけるハイダーは特徴的なイントロ部分も含めてエヴァンスの解釈に表敬している。いっぽう「Nardis」におけるそれは、無伴奏ソロ・ピアノによる闊達な導入部も含めて、伝説のトリオによる第二作『Explorations』(61年録音)よりも、70年代後半の、たとえばマーク・ジョンソンやジョー・ラバーベラとのラスト・トリオで奏でられたヴァージョンを想起させてやまない。
このプロジェクトに大抜擢されたベーシストのロレンツ・バイエラー(1979年4月12日生まれ)とドラマーのトビアス・フリードリ(1978年12月19日生まれ)は、スイス・ジャズ・スクール・オーケストラ~スイス・ジャズ・オーケストラ、ローマン・トゥレイ・トリオ等でも息の合ったプレイを聴かせた名コンビ。ハイダーが、いまから40数年前に他界した音楽家であるエヴァンスゆかりの楽曲に取り組むにあたって白羽の矢を立てたのが、息子世代にあたる、このふたりだったというのはいささか感慨深い。いまだ瑞々しさを失わないエヴァンス関連のレパートリー、ハイダーの円熟したピアノ・タッチ、バイエラーとフリードリが躍動感たっぷりに送り出すリズム。三つの魅力が一体となって、ここに王道ピアノ・トリオ・ジャズの新たな傑作が誕生した。
2023年6月 原田和典