第1回はサルダビーの代表作、一躍名をはせた「NIGHT CAP」からお聴きいただきましょうか。
ピアノの詩人と称されていますが、実はカリブのマルティニック島からミュージシャンを目指してニューヨークに移り住んだ12歳の頃は時も時、ニューヨークではドゥーワップ(Doo-wop)が大流行。太い縦縞のジャケットにカンカン帽をかぶってドゥーワップ(Doo-wop)をやっていました。
既に詩人の素地はあったのですね。今でも、見たものを即興で“Doo-wop”してくれます。
コラム
2022.12.09
全16回のうち、PART1では第1回目から4回目までをお届け。じっくりお楽しみ下さい。
目次
ピアノの詩人と称されていますが、実はカリブのマルティニック島からミュージシャンを目指してニューヨークに移り住んだ12歳の頃は時も時、ニューヨークではドゥーワップ(Doo-wop)が大流行。太い縦縞のジャケットにカンカン帽をかぶってドゥーワップ(Doo-wop)をやっていました。
既に詩人の素地はあったのですね。今でも、見たものを即興で“Doo-wop”してくれます。
ニューヨークでのDoo-wop時代を経て17歳になるや、パリでピアノの勉強を本格的に始めました。花の都にて、独自の音楽理論で瞬くうちに才能は開花していきます。そんなある日、偶然とは言いがたい同じカリブの隣島グアドループのプロデューサー、ヘンリー・デブス(DEBS)氏によりサルダビーの魅力は見出されました。
その時の作品が、この[Blue Sunset]です。サルダビーの音楽原点とも言える作品です。しかもマスターから、偶然発見された[Con Alma]もカップリングしています。
サウンドヒルズレコードへ移行当時の[Blue Sunset]のジャケットはゴールド、[Con Alma]はジャケット画像を反転してシルバーに、それぞれ単体で豪華なLPで発売されていました。
当初、ミッシェル・サルダビーの楽曲はフランスのMantraレーベルが粗悪なLPを制作し、輸出業者を介して日本の輸入会社が販売していました。
サウンドヒルズレコードの母体、スーパー・ストップ株式会社はMantraと契約して間もない時期にMantraがサルダビーと正式な契約がなされていないことが判明し、サルダビー作品の全てを譲受けることに。音をリマスターし、ジャケットをサルダビー風に補正して発売に至りました。
その頃、サルダビーから初ライブ音源の発売依頼がありました。ジャケットは手作りでしたが、それ以上にピアノのこだわりが異常でSteinway&Sons、しかもヨーロッパ製の中でもフランス、またはドイツ、オーストリア製に限るとのことで、ジャケットにもSpecial thanksにフランスの協力会社名まで記載されていました。その甲斐あってか素晴らしいライブに仕上がっています。
(いよ、サルちゃん!と声をかけたくなるようなご機嫌なライブをどうぞ)
パリで一流アーティストとして活躍し、公私ともに充実した生活を送っていた頃、既に名声を博して日本でも人気のロン・カーターがふらっとパリに現れました。2人の運命はそんな出会いを、「無音の時空」上で表現させました。
この出会いでロン・カーターはサルダビーの虜になり、ついにはサルダビーの故郷マルティニックに「無音の時空」の極致を求めて旅をしたと聞きます。
ぜひ、この作品で楽しみながら極致を体得いただければ幸いです。
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